ハート島熱風食堂
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黒島ビシビシ


 二十年後・島の命・海の掟・子供の眼・コーラおじさん
3


翌朝、またも快晴。二日酔いの頭を太陽が突き刺す。
よたよたと仲本海岸へ行くと、またもジャズメンのおっさんがやってきて、「海はどうだ」ときいた。
「すこし波あり、昨日より揺れてます」
「ほう、おまえさん、ちったぁわかってきたじゃねえか」
彼はニヒルに笑って、自転車で行ってしまった。
この人はTさん、やがて僕たちをその先の海にいざなう人であった。

朝食後、二十年ぶりの客人が帰っていった。
「思い切って来て良かったかも」
自分で言うのも何だが、本稿は行間にものすごいドラマがあるように思う。
僕はガジュマルの木陰に座って、空をあおいだ。 朝から泳ぐはずが、気力が満ちてこない。なんだか汗まで酒臭くてだめだ。
センパイは日焼けの腫れがまだひかず、今日も読書だと笑う。 あとの面々は見事にダウンで、みんな寝てしまっている。
「ダメなときは休みなよ、はしってばかりじゃ疲れるよ」
「でも、今日の海は今日しかないし・・・」
「そうだよね、お魚サンのすぐ近くにいるのに、何やってんだか」
そんなろくでもない会話が一時間ほどつづいた。
やがて、ひと仕事終えたヘルパーの彼女がやってきて、僕らの横に座った。
今は昼の食堂営業がないため、彼女はこれから夕方まで休憩となる。 繁忙期の今は体がもたないので、時間があっても海には行かないと笑う。
この人は愉快だ。顔いっぱいに笑うし、疲れたら体じゅうでため息をつく。 掃除機を手に駆け抜けると、からりとした余薫がのこる。
彼女はバイトをしながらアメリカやイタリアを渡り歩いた行動派の江戸っ子で、 近くの島のリゾートで半年働いた後、客としてこの島にやってきた。 しばらく滞在するうちに「この島の一年を見てやろう」と決め、大将に直談判してこの宿にいついた。
「みんな見てたら、なんだかくやしくって」
この島はオープンだという。島で生きる命は、島人だろうが余所者だろうが牛だろうが、 等しく力を合わせるのがこの島の流儀だ。だから見かけは地味でも、気持ちよく光っている。 その空気を自分の中に入れるため、彼女はここで奮闘しているのだ。
「きっと、あたしの役割もどっかにあると思うんですよ」
「あんたもハート島の一部なんや?」
「いえ、ハート島だけは、絶対許せない」
「え?」
「だって、この島、どう見たってハートに見えないでしょ?」
なるほど。いたって現実的で、うなづける意見であった。

昼飯を食うと、海心復活。たとえ島がハートでなくなろうと、海は変わらない。
潮の干満は一日ごとにだいたい一時間遅くなるので、今日の干潮は二時過ぎの計算だ。 僕はセンパイに別れを告げ、ひとりで海に向かった。
仲本海岸では、タマさんとみちのく夫婦が午後の準備をはじめていた。 きけば朝から三人ではりきって泳いでいたらしい。
「私はやりたくないんですけどね・・・」
ラグビー選手のような立派な体格の旦那が、弱々しく笑う。 二人とも旅行関係の仕事をしているのだが、志向は水と油ほど大違い。 温泉志向の旦那は、暇さえあれば沖縄だモルジブだと出かけてゆく行動派の彼女に「たまには折れて」ついてきたという。 もちろん、南の海は初めてだ。
「しかし、もっと何もないところなのかと思ってました」
言われてみると、仲本は変わっていた。というより、どこか勘違いした客が増えているのだ。 もともとここは素朴な浜で、自分のショノーケルを持つような連中が訪れる場所だった。 それが今では、海水浴場みたいにパラソルが立ち、波の音をかき消すほどに音楽をかけまくる阿呆までいる。
そんな中、今風の娘がまた二人浜におり、超がいくつもつくようなビキニ姿になった。 そして、リゾートサンダルを脱ぎ捨て、裸足のまま青い海へ・・・え?
「だめだよ、それじゃ足が血だらけになっちゃう」
たまらずタマお姉さまが声をかけた。
「南の海をなめたらいけないよー」
海の底は砂ではなくゴツゴツなので、本来はマリンブーツでないとつらい。 さらに、日焼けのことを考えれば、Tシャツぐらい着た方がいい。水に入っているときは意外と気づかないのだが、 背中とかふくらはぎをやられると、後で腫れて熱が出て、夜寝ることもできなくなってしまう。
「最初から無理しないでねー、一時間に一回は休むんだよー」
タマさんはあれこれ世話をやき、結局、彼女らは僕のTシャツを着て初の海に出て行った。
「あたしも最初はああだったんだよねー」
僕は彼女らを追いかけ、魚肉ソーセージを目の前に投げてやった。 とたんに、青い魚が寄ってくる。ここは餌付けされているのだ。
「わぁ、水族館みたい!」
もしかしたら彼女らの目には、僕らがとんでもなくかっこよく映っているのではないか。 そう思うと不思議な充足感があった。

リーフに渡った僕たちは、外洋に出れそうな場所を求めて、リーフ上をひたすら南へ歩いた。 途中、いくつもタイドプールがあり、ウツボがほとばしる様におののきながら、大騒ぎですすんでいった。
今日のような波の荒い日の干潮時に外へエントリーするのはいささか無茶だ。 しかし、そういうテンションになってしまったのだから仕方ない。
いくらか白波がましな場所を見つけ、いよいよ海に挑む。 生きた珊瑚を踏まないよう注意しつつ、慎重に機会をうかがうが、実は至難の業だった。 波打ち際はいずれも浅く、やたらと波が強いので、下手をするとバランスをもっていかれる。 倒れたら最後、抗うすべもなく転がされ、珊瑚で体をズタズタにされかねない。
どうにかこうにかエントリーに成功し、小魚が群れるところまで出た。 でかいのもそこそこいて、悠然と海底をゆくサメの姿も見える。 しかし、これだけ海が荒いと体の自由がきかず、ただ波にまかせて漂っているに過ぎない。
誰も来ないのでいったん引き返したが、上陸すべき場所が見つからず、 そうこうしているうちに波に戻され、僕はなすすべもなく浅い岩場に打ち上げられた。
なんともなさけない。
ほうほうのていで立ちあがると、あとの三人はすでにあきらめの境地に達していた。 見ると活動派彼女のズボンは裂け、旦那の足はまさしく血だらけになっているではないか。
「いやいや、南の海をなめたらいけないべ」
仕方なくリーフの外をあきらめ、イノー(礁湖)の中を泳いで帰ることになった。
「あたしたちも人のこといえないねー」
「ま、最初っからこういう予定だったと思えばいいべ」
それはそれで楽しい。およそ1キロ半の、美しい海の道である。

「ぷはー、生き返るべー」
血だらけの旦那をコーラが癒やした。この人は酒も煙草もやらないが、 朝から晩までコーラを飲んでいないと気がすまない人で、いつしか「コーラおじさん」と呼ばれている。
帰りの海はおだやかだった。探していたエダ珊瑚の群落は見つからなかったが、いくつか元気な根を見ることができた。 光合成で次々と小さな泡をはく珊瑚の姿に見とれ、リーフ内に入ってきた魚を追いかけ、上機嫌で戻ってきた。
仲本海岸の入り口の岩に、貸したTシャツが干してあった。彼女らの初めての海はどうだったのだろう。
「あのコらは、きっとはまったはずですよ」
「またどっかで会えたらいいねー」
昼間、あれほどにぎやかだった海も、今は人もまばら。 日帰り客が行ってしまうと、残るは宿泊者のみ。素朴な浜に戻った仲本に、 ようやく動き出した現実逃避クラブの七人が、元気に繰り出していく。
「ちょっと、あれ見てー」
タマさんが指さす先に、海岸を散歩するハカセの勇姿があった。 ちゃっかり同じ宿の女の子を連れている。得意の島ガイド攻撃だ。 夕暮れに染まりゆく海をバックに、なかなかいい雰囲気ではないか。
「でも、妙なとりあわせだな・・・」
「いいじゃないですか、夏なんだし」
コーラおじさんが言った。残念ながら、まるで説得力のない台詞であった。

宿にはもうひとりヘルパーさんがいる。
正統な色白美人で、笑顔まで涼しげな人だ。
僕はこの人を知っていた。けれど、いつどこで会ったのかさっぱり思い出せず、なかなか話を切り出せないでいる。
その彼女をモデルにして、宿の長男が画用紙に向かっていた。 夕食前の食堂はアトリエと化し、いくらかギャラリーも集まった。
得意げな豆画伯の筆は、たしかに伸びやかだが、似顔絵としてはやや違う。 実物の彼女はもっと繊細だと思うのだが、何というか、まるで「豪快に笑うカエル」なのだ。
「おまえ、よう見て描いてるか?」
「うん、そっくり、そっくり」
それでも彼女は涼しげに目を細め、
「大事にするね」
と何度も言った。
ちなみに、画伯は僕の絵も描いてくれたが、さしずめ「踊る海坊主」であった。

夕食が終わると、今夜もガジュマルの宴がはじまった。
テーブルの上には一升瓶が二本。いきなり総勢十五名の乾杯だ。 若干一名飲めない客も、港で仕入れたコーラの二リットルボトルを手に参戦している。
ハカセは昼間僕たちが助けた彼女二人が浦島太郎のごとく現れるものと信じ込み、どっさりつまみを買い込んで、 今か今かと待っている。やはり不思議な人だ。
僕らの前にはカウボーイの青年が座り、興奮気味にタコ獲りについて語りはじめた。
「自分も島にいて今日初めてでした、やみつきになりそうです」
僕らが仲本のリーフで悪戦苦闘していた頃、彼は海に詳しい友人に連れられ、 伊古の沖にある干瀬でタコ獲りに励んでいた。といってもタコツボを仕掛けるわけではない。 まずタコの家を見つけ、ふたつある入り口の片方から突っついて、もう一方から出てきたところをモリでやる。 タコの家をこわさないようにするのがコツだそうだ。
「ほんとに墨吹きますよ、ピューって」
「すごい、おもしろそー」
「自分が言うのも何ですが、この島にはおもしろいことがもっとたくさんあるんですよ」
やがて魚の話になった。奇跡の海に囲まれたこの島では、出会える魚の種類も多い。 しかし、ここでは、海の生き物の分類は多くない。危険か、そうでないか。食えるか、食えないか。たったそれだけだ。 実に痛快で的確ではないか。
「そうだ、おまえさん、産卵見たか?」
「海ヘビですか?」
「カニだよカニ、そのへんにいるオカガニさ」
満月の晩、陸に住むカニがいっせいに海をめざし、波打ち際で産卵する。 メインは若夏の頃だが、七月でもいくらか見られるという。
「今夜はどうでしょう?」
「お月さんにきいてみな」
僕はよたよたと二階の物干し場に上がって、寝っころがって月を見た。
そして、そのまま眠ってしまった。








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