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島を行く 番外編 石垣島
タイソンタイフーン
台風銀座の島々に、超大型のハイタン襲来。
旅は道連れ、暴風まかせ。
越えて花咲け、風速50メートル。
風に立ちむかえ! 涙と笑いの台風奮闘記!
南の島には、台風がつきものだ。
島を行く僕たちは、時にそいつにぶちあたり、泣いたり笑ったりする。
もしかしたら、それは、気まぐれな地球がくれた試練なのかもしれない。
夏の島・ランナー・すすめば宮古・傾向と対策・タイソン台風
その朝、仲本海岸は晴れていた。
ぱきっと透き通った空、遠くの島々までくっきりと見える。
島にまた夏がやってきた。だから僕はこうして、島ぞうりで立っている。
昨日、黒島に渡ってきた。毎年世話になる大将が手塩にかけた新しい宿が開業し、
島はまぶしくかがやいていた。僕は一日の大半を海で過ごし、地球の子供となった。
けれど、昨夜はいささかやりすぎたようだ。
まだ酒がのこっているのか、朝から胸がざわざわする。
海のにおいもなんとなく違うように思える。
海辺の東屋で風に吹かれていると、真っ黒に日焼けした娘が、ビールを手に僕の向かいに座った。
彼女は毎年この時期にやってくる客で、僕のことを知っているようだった。
「海、しずかですよね?台風なんてほんとに来るのかしら」
「台風?」
「ええ、昨夜ニュースでいってたじゃないですか」
そういえばきいたような気もする。酔っ払って見た天気図では、
まだまだ遠いと思っていたが、あれがこっちに向かっているのだろうか。
「ひょっとして、台風男だったりして?」
やがて、島の人が入れかわり立ちかわり海を見にやってきた。様子がおかしい。
島の宿を受け継いだアキノリさんは、せっかくきてくれたお客さんを石垣島へかえすべきかどうか迷っている。
もしかしたら、明日は船が出ないかもしれないという。
「まさか・・・」
ほどなく、注意をよびかける島内放送がきこえてきた。
大型の台風五号が勢力を強めながら接近中。
中心気圧は940ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は四〇メートル・・・
め、めちゃくちゃでかいではないか。
あわてて宿に戻って地元の新聞をひらくと、二日酔いも吹き飛んだ。
天気図は最悪。なんというでかさだ。
おまけに、あたたかい南海域を進んでくるわけだから、ますます強大になりかねない。
このままいけば、直撃ではないか。
「さあ、どうする?決めるのは自分だよ」
宿の大将は笑顔で言った。
もはや島を出るしかない。せっかくここまで来たけれど、
島にとどまっても宿に迷惑がかかるし、
下手をすれば大阪に帰れないことになりかねない。
「ほんとにいいんだね?後で後悔しても知らないよ」
そこへ、なじみの顔がジョギング姿であらわれた。
鉄人タイソン。去年の夏、この島で出会った市民ランナーだ。
彼は僕のように海に入ることはなく、ひたすら走るためだけにこの島へやってくる。
早速、ひとっぱしりしてくる気らしい。
「タイソンさん、帰りますよ」
「でも、オレ、いま着いたばっかなんだけど・・・」
鉄人タイソンは困った様子で、宿の大将の顔色をうかがった。
大将は「決めるのは自分さ」と笑うばかり。
「ちくしょう、オレ、まだ走ってないのに・・・」
鉄人タイソンはうなだれて荷物を持ち、渋々送迎車に乗り込んだ。
港まで送ってくれた大将は、恭しく一礼して「また来て」と言ってから、
「僕はずっと、ここで宿をやってますから」
と、僕が最初に来たときと同じように見えなくなるまで手をふった。
海に出ると、意外と波はなかった。
鉄人タイソンはしきりに首をかしげ、うらめしそうに僕の顔をのぞきこんだ。
「帰るのは明日でもよかったんじゃないかな・・・」
しかし、その便を最後に船は何日も欠航することになる。
僕たちは最初の関所を突破した。同時にそれは、長いたたかいの幕開けであった。
去年の夏、僕は久米島というところで閉じ込められている。
台風が来ていることは知っていたけれど、
せっかくだから一日でもいいと島へ飛んだ。
結局、その便を最後に全便欠航となり、船も止まって、島を出るすべは閉ざされた。
折りしも台風は久米島で停滞し、嵐ふきすさぶ島で四日間も過ごす羽目になる。
あのときは石垣からやってきたソルボーと一緒だった。
お互い初めての島で勝手がわからず右往左往し、
最初は無理やり元気を出しながらも、実はため息ばかりついていた。
けれど、来る日も来る日も空港で過ごすうちに、知った顔が増えていくのに驚いた。
同じように滞りながら芽生えた、あの奇妙な連帯感は、いったい何だったのだろう。
台風が去って運行が再開された日、誰もが口々に言い合った。
いってらっしゃい。よい旅を。
船が石垣港に着くなり、激しい雨が襲ってきた。
ただのスコールだ。けれど台風の影響で大気が不安定になっているのだろう。
僕たちはタクシーをひろって、一路空港へいそいだ。
これまで何度も台風にくるしめられてきた僕には、いくつか教訓がある。
第一に、早めの決断。決めたらすぐに考えうる手を打つことだ。
第二に、安全の確保。何よりこれが肝心だ。
あとは、運を天にまかせ、台風に遭っている境遇それ自体をたのしむことだ。
けれど、実際はなかなかむずかしい。
結局のところ、思うようにいかない現実をいかに受け入れてゆくかが、
ことの本質なのだろう。
案の定、石垣空港はすでに人であふれていた。
ひとたび台風が来ると、移動のスケールはでかくなる。
仕事がある客はなにがなんでも帰らねばならないわけで、日程も早めれば、効率も度外視だ。
僕が知るだけでも、東京経由で京都へ帰った人や、福岡を経て東京に逃げた例がある。
いったん小松へ飛んで陸路をひたすら広島まで戻るという馬鹿げた逸話まである。
折りしも夏休み最初の三連休。価格的にいちばん高いときに来ている連中だから、
日程に余裕がない客が多いはずだ。僕らと同じことを考えていても不思議はない。
「心配ないよ、今ならまだなんとでもなるだろ」
しかし、今日の那覇行は臨時便を含めてすべて満席。内地への直行便もすでに出た後だ。
ならんでキャンセル待ちの番号をもらうが、とても届きそうにない数である。
「これって、やばいんじゃない?」
ようやく現実が見えてきた鉄人タイソンの顔に、暗雲がさした。
なにしろ彼は、仮に石垣を出れたとしても、那覇でまた空席待ちをして羽田へ飛び、
そこから今度は新幹線ではるばる新潟までもどらねばならないのだ。
予報では、今日夜から風速15メートルの強風域に、
明日夕方から風速25メートル暴風域に入り、ピークはおそらく18日。
進路的には、ハブ機能を担う那覇にはさほど影響はなさそうだが、
ここ石垣にはまともにぶちあたる。
そこにいる誰もが明日は飛んでほしいと祈っているが、
今夜那覇への臨時便が決定していることからしても、
事実上、明日17日は朝から欠航となる見込みが高い。
僕は考えた末に、微妙な19日午後の関西直行便チケットをいかしたまま、
翌20日朝の那覇便を予約した。
19日を本命にして、キャンセル待ちにたよらずに島を出るかまえだ。
鉄人タイソンは少しでも早めたいとのあせりから、
18日朝の那覇便チケットを、なんとか取れた17日最終便に切り替えた。
これが後の明暗を分けることになるのだが、動揺しきった本人に深い考えはない。
「もうすこし早く動くべきでしたね」
人ごみの中に見覚えのある大男がいた。
同宿の女性客をひき連れてひとあし先に黒島を出た彼は、
今日の那覇便は逃したものの、モバイルと携帯電話を駆使して
ふたつの航空会社で明日一便の予約に成功。
周囲の見知らぬ人々にせっせとアドバイスしていた。
「他の客は?」
「彼女ならいまの便に切り替えて宮古へ」
とっさに見ると、その便だけ「満席」の表示がない。しまった。
もうすこし早く気づいていれば、僕らは宮古経由で今日中に那覇まで行けたかもしれない。
「そうか、その手があったか・・・」
第二の関所、見事敗退。このことが後々まで鉄人の心をさいなむことになる。
くよくよしても仕方ない。
僕らはいったん石垣の街へ戻って、ヒデオが働く居酒屋で腹ごしらえした。
「やばいっすよ、今度のはさすがにシャレにならんです」
ヒデオはしきりに繰り返し、だれもかれも台風対策にはしりまわっていると言った。
明日に予定されていた離島桟橋のみなとまつりも中止となった。
島々にとって大切な豊年祭も、各地で中止や延期になっているらしい。
台風は年に何度も来るけれど、こんなでかいのが直撃するのは、
何年ぶりかのことだそうだ。
「まさか、オレたち帰れるよね・・・」
「もちろん、いつかは帰れますよ」
「いつかじゃこまるんだけど・・・」
島はいつになく騒然としていた。歩いているだけでそれがわかった。
市場には、汗だくでパインを運ぶFさんの姿があった。
漁船の船主であると同時に、果物の通販を手がける彼は、目が回るほど忙しい。
台風でやられる前に農家がかたっぱしから収穫するから、
そいつを市場まで運んでいるのだ。
「残念だけど今夜は飲めないからね、これ持ってけ」
ずしりと重い、袋いっぱいのパイン。
それはお土産ではなく、宿に閉じ込められたときに食えという意味だった。
「それから、食糧買っとけよ、今回は長期戦だからね」
しばらく忘れていたけれど、すんでのところで台風を切り抜けたことがあった。
どうにか五メートルばかり潜れるようになった僕は、
ケラマにある慶留間という美しい島にいた。
その日も朝から海へ出ていたが、遠くで落雷の音をきいてひきかえした。
テレビのニュースは、石垣島沖で発生した台風がこちらへ向かっていると告げていた。
「すぐに出ろ、海は来年もここにある」
海の案内人を兼ねた宿のオーナーが、風を見てしずかに言った。
まだまだ大丈夫そうだったが、そう言われると気になる。
僕はそもそも午後の船で帰るつもりでいたが、後ろ髪ひかれる思いで島を出た。
船の上で波はどんどん高くなったが、
僕は予定より半日早く那覇に着き、首尾よく大阪へと飛び立った。
結果的に、午後の船は出ず、飛行機も夕方から欠航。
もし、あのとき船に乗っていなければ、何日も帰れないところだった。
決めるのは自分だけれど、まずは地元の言葉に耳をかたむける方がいい。
つまるところ、旅人はその地を知らないのだから。
買い物をすませて石垣空港へ戻ると、フロアはますます混雑していた。
今日の便に乗れる可能性などないのに、鉄人は最後まで待つといってきかない。
「どんなレースも最後まであきらめちゃいけないんだよ」
鉄人は空席待ち番号札をにぎりしめ、いつになくくよくよしてる様子だった。
来てすぐに島を出るのがくやしいのか、今日新潟へ帰れないことが嫌なのか、
自分でもよくわからなくなっているようだ。
いいかげんくたびれてきたところへ、人ごみをかきわけて声がした。
「こんなことだと思いましたよ」
石垣に住むソルボーと島娘ナツコだった。
Fさんからの報を受け、わざわざ迎えに来てくれたらしい。
ありがたい。ここは僕の島だったのだ。
「残念ですが、その番号だと絶対に乗れません」
「そんなはっきり言わないでくれよ・・・」
「さあ、今夜は忘れて飲みましょう」
さすがの鉄人も地元の言葉にようやく折れ、僕達は近くの食堂に移動した。
店は満員だった。台風対策を終えた島の人々が、あとは野となれで飲みはじめる。
ここまできたら、あれこれ考えても仕方ないのである。
故郷の那覇から石垣島に来て二年になるナツコは、
ろくに自己紹介もせず、妙にうれしそうに「嵐の島へようこそ」と笑った。
「それじゃあ、タイソン台風に、乾杯」
「え?この台風、そんな名前なの?」
「だって、タイソンさんが連れてきた台風でしょ?」
「やめてくれよ、こっちはブルーなんだからさ」
とか言いながら、鉄人タイソンは今日はじめて笑っていた。
あとは、運を天にまかせ、台風に遭っている境遇をたのしむことだ。
胸の中のざわざわが、おだやかにきえた。
風よ、来い。僕がいるこの島に。
希望の芽・HAITANG・がんばれ珊瑚礁・三枚肉・停電の夜
午前5時、鉄人タイソンはすでに身支度をすませていた。
「一刻も早く」
まずい。テレビの情報によると、台風はますます勢力を増し、915ヘクトパスカル。
中心付近の風速はなんと55メートル。ルート的にも、もはや直撃はさけられない。
しかも、速度がいちぢるしく遅いからやっかいだ。
荷物を持ってまだ暗い道をタクシーで空港に向かった。
あの後、念のため今日の宮古行一便を予約していた。
風はあるが、天候は晴れ。僕はつとめて明るく切り出した。
「タイソンさん、運が向いてきたみたいです」
「うん、これなら飛びそうだよね」
こたえは、欠航だ。風向きが悪すぎる。
ところが、早朝の空港には、すでに長蛇の列ができていた。
待つこと二時間、本日全便欠航が発表された。
宮古一便の予約は無駄になった。鉄人の那覇最終便も飛ばない。
第三の関所は開かれもしなかったことになる。
「オレたち、どうなっちゃうんだろう・・・」
鉄人タイソンはがっくりとうなだれた。
あきらめて帰る人もある。僕らの二十人ほど前にならんでいた昨日の大男も、
あとはインターネットでするからと、早々に宿へひきかえしてしまった。
「タイソンさん、運が向いてきましたよ」
そう、朝の段階で全便欠航が決まれば、たとえ最終便であろうとその時点で欠航手続ができる。
ふつうキャンセル待ちはその日限りだが、
欠航した場合は特別で、いったん発行された空席待ち番号が最後までいきる。
つまり、早く欠航手続をして若い番号を獲得できれば、
鉄人タイソンは大逆転で運行再開と同時に飛び立てることになる。
「そうか、最初からこれをねらえばよかったんだ」
とれた番号は、那覇行が243番、羽田直行が36番。微妙な数字だが、
便数を勘案すれば、運行再開当日に那覇まで行ける圏内だ。
「ということは、あとは飛ぶのを待つだけだね」
「けど、いったいいつのことやら・・・」
僕らの後には数百人がつづいている。やはりただごとではなさそうだ。
僕らの宿は離島桟橋の近くにある。
由緒正しい赤瓦屋根で、どこかのお家に泊めてもらっているような良い宿だ。
三室だけなのですぐ満室になってしまうのだが、
幸いなことに商売っけがなくてほとんど誰にも知られていない。
なのに、昨日から予約の電話がひっきりなしに鳴っている。
足止めをくらった客に加え、他の島や裏石垣に泊まっていた客が、
こぞって空港に近い便利な場所に移動しているようだ。
なんの気なしに投宿したが、僕らは幸運だったのかもしれない。
空港で月見うどんを食って戻ると、宿の食卓に新たな客がすわっていた。
名古屋から初めてやってきたダイバー娘。この稿では、リサ、と呼ぶ。
「なんだかわくわくしません?旅先で台風に遭うなんて」
「どうかしてるんじゃないか?」
空前の好条件を確保しながら、鉄人はかえってくよくよモードに陥ってしまった。
それをなだめるように彼女は「たのしいじゃないですか」と繰り返す。
先日八重山入りしたリサは、のん気に西表島でカヌーをこいでいる間に台風到来を知り、
竹富島を自転車でまわって今日を迎えた。
西表でダイビング三昧のはずが、結局は一本も潜らずじまい。
この宿も、昨日たまたま歩いていて見つけたらしい。
「そういう旅だと思ったらいいんですよね?」
他人事みたいに笑って肩をすくめる。おっとりしたいい娘だ。
「あー、あのとき宮古便に気づいていればなぁ・・・」
「おっさん、往生際わるい」
「いや、心の中ではわかってるんだよ、でもなぁ・・・」
そんな僕らのやりとりに、リサは目を細めた。
彼女にとって「出会うはずのない人達と出会う旅」のはじまりだった。
その頃、僕たちが行けなかった那覇空港で、ある事件が起こっていた。
毎年黒島で同宿となるオーバ姉さんが、空港職員に「どうして飛ばないの」とかみついたのだ。
彼女は教育職にありながら超がつくほどおおらかな天然ボケで知られているのだが、
案の定、今回も台風のことなどつゆ知らず東京からのこのこやってきて、
嵐を待つ八重山に何が何でも渡ろうとしていた。
「待ってて、私は必ず行くから」
いわれなくても、僕たちはここにいるしかないのである。
「来ない方がいいよ、黒島行の船も今朝から出てないらしいし」
鉄人タイソンが電話口でなだめはじめる。賢明な意見だ。
「行けないと困るの、送った荷物の中にお化粧道具が入ってるのよ」
「そんなもん、そっちで買えばいいだろ」
そんな馬鹿げたやりとりをしているところを、
たまたま通りがかった黒島系の旅人にいさめられ、
彼女は泣く泣く那覇に投宿することになる。
そして、すごく楽観的な独自の見通しでもって、進捗連絡をくれることになった。
石垣にいる僕ら三人は、歩いて出かけた。
途中何度かスコールがきて雨宿りをしたが、
空は奇妙に晴れ、むっとした空気が肌にまとわりつくような日であった。
時折すごい突風が吹いて、街路樹として植えられたアセローラの木が折れ、
枝ごと飛んできたけれど、その他はいつもの島とたいして変わりなかった。
ソルボーの事務所は登野城にある。石垣で最も古くから栄えた一画だ。
彼はここを拠点に島々のホームページをつくって生計を立てている。
彼は僕ら三人を迎えると、事務所のドアに「本日休業」の札をかけた。
「でも、気のせいかすごく晴れてるんだけど」
「大きな台風が来る前は、たいていこんなもんです」
ほどなく、船便欠航で仕事がなくなった島娘ナツコがやってきて、
ピクニックよろしくお手製のサンドイッチやらフライドチキンやらをひろげた。
はじめは遠慮していたリサも、ナツコにうながされて席につき、
昼間っから缶ビールで乾杯となった。
「それじゃあ、タイソン台風に」
「何ですか、それ?」
「この台風の名前だそうだ」
インターネットで更新された天気図を見ると、台風はますますでかくなっていた。
半径260キロの巨大な円が風速25メートル圏内。
当初の予想では圏外だった宮古をも巻き込んで、石垣島へとまっしぐらだ。
信じがたい数値を書き連ねた上に「アジア名:HAITANG」とある。
「ハイタン?」
国境を越えてアジア海道を行く台風には、それぞれ名前がついている。
日本でいうこの台風五号は、国際的にはハイタン。
中国の言葉で、野生のりんご、という意味らしい。
「違うよね?タイソン台風はタイソン台風だもん」
「だからやめろって、そういうノリ」
かわいた笑いが起こったところへ、Fさんがやってきた。
北部のパイン畑からの帰りらしく、車にいっぱいの荷物をつんでいる。
夜を徹しての台風対策はまだ終わっていない。
「ごめんね、せっかく飛行機飛ばなかったのに、今夜も飲むどころではないね」
そう言って、まだ青い島バナナを房ごとくれた。
無邪気に受け取ったリサが、とたんによろける。
見事に実った房は、ずしりと重いのだ。
「中に太陽がたくさん入っているからね」
Fさんは汗をふきふき笑った。まるで詩人のようだった。
奄美の加計呂間島で雨台風に遭ったのは、いつのことだっただろう。
当時の僕は海を知らなくて、おまけに無鉄砲な馬鹿者だったから、
このままかえるわけにいかにとばかりに、ひとり豪雨の海に出た。
(※絶対まねしないでください)
海中にはあかるい珊瑚の世界があった。
意外なほどしずかな世界を、僕は夢中ですすんでいった。
しばらくして気づいた。こういうところにいるはずの魚が、一匹もいない。
かといって珊瑚や岩陰にかくれているわけでもない。
忽然といなくなってしまった感じなのだ。
僕は急にこわくなって、あわてて海からあがった。
見てはいけないものを見てしまった思いがした。
台風一過でからりと晴れた最終日、僕は再び海へ出た。
水はやや濁っていたけれど、まぶしい光が海中を彩った。
よほど波がすごかったのか、海底のいたるところに、折れた珊瑚がころがっていた。
そのまわりを、おびたたしい数の魚たちが踊っていた。
おそらく海はそうして再生を繰り返してきたのだ。
僕たちにとってやっかいな台風は、どうしてやってくるのだろう。
そのことについて僕は時々考える。
午後になると、ぶあつい雲が石垣島の空をおおった。
僕たちはいい調子になって出かけた。
このためにずっと飲むのを我慢していたナツコがハンドルをにぎり、軽自動車に五人が乗り込んだ。
ようやく緊張がとれてきたリサは、学生の頃に戻ったようだと笑った。
「私はね、島の台風をみんなに見せたかったのよ」
石垣は沖縄の中では水にめぐまれた島だが、氾濫を心配するほどの大河はない。
けれど、珊瑚への影響が心配だ。雨水は農地の土をえぐりとって、一気に海へと注ぎ込む。
最近では赤土流出を防ぐため水路にわらを積んだり石垣をつくったりしているが、
日本の珊瑚礁の六割を占めるというこの海は果たして大丈夫だろうか。
さらに、四方を海に囲まれているから、島の台風は、すなわち風と潮とのたたかいになる。
折りしもマンゴーやパインの最盛期である。
「野生のりんご」は次第にその姿をあらわし、
サトウキビをなぎたおし、島に手荒な挨拶をくれていた。
与那覇さんが果実をそだてる農園も、実という実が落ちてしまっていた。
かつてトライアスロン大会で鉄人タイソンを苦しめた灼熱の坂も、
今はただ風ふきすさぶ暗い道。ここに太陽があったとは想像しがたい。
ためしに前勢岳の展望台にのぼってみたが、
風光明媚なその眺めは見る影もない。
というか、風がきつくて景色どころではないのだ。
「よーし、タイソン台風、来るなら来い、私がやっつけてやる」
「やめろって、なんだかオレが悪者みたいじゃないか」
港ではおびただしい数の船が陸にあげられていた。
あげられない船は肩を寄せ合うようにして厳重にしばられている。
こんなものものしい港を見るのは初めてだ。
サザンゲートブリッジを渡ると、風はいよいよはげしくなった。
カーラジオの台風情報が、石垣島地方がついに暴風圏内に入ったことを告げた。
波の高さは早や十メートルに達した。かろうじて港内は白波が立つ程度だが、
沖のリーフでは猛烈な荒波がくだけ、信じがたい水柱が次々とあがっている。
「見て、私たちを守ってくれてるよ・・・」
島の南側にあたるこの場所に古くから村が開けたのは、
すぐ沖にこのあたりで最大の珊瑚礁が発達していたからに他ならない。
それは良港を提供すると同時に、台風のときは天然の要塞となって、
襲ってくる波の衝撃をやわらげ、この島をまもる。
「がんばれー、珊瑚しょー、私がついているからねー」
ナツコは防波堤によじのぼり、荒れ海にさけんだ。
ともすると吹っ飛ばされそうだが、その姿はちょっと頼もしくもあった。
スーパーでしこたま買い出しをして、
夜はソルボーの部屋で鍋を囲むことになった。
停電でクーラーが切れるのも覚悟の上である。
味つけは旅情もへったくれもない和風鍋だったが、
ソルボーは那覇の母上から送られてきたお手製の三枚肉をふるまい、
嵐の島に迷い込んだ旅の者をよころばせた。
台風の夜の楽しみ方はさまざまだ。
ナツコはわざわざお家に帰って、箱いっぱいのアロマキャンドルを持ってきた。
通信販売でついつい買うが実際はなかなか活躍の場がないそいつを、
今夜一気に燃やしきるつもりだ。
「あー、はやく停電にならないかなー」
「まあ、どうせ飛行機とばないんだから、今夜は停電でもいいけどね」
「子供の頃、台風で停電になるとうれしかった、明日は休みだーって」
「明日は困るよ、明日は」
「あれ?ひょっとして、明日飛ぶと思ってるわけ?」
その後、あちこちから電話が入った。
西表島のノリさんは停電で「ロマンチックなキャンドルナイトさ」と笑ったが、
同じく暴風圏にある宮古島は意外とたいしたことはなく、
那覇も高校野球の決勝が行なわれたぐらいだから、台風という感じではないようだ。
やけ酒で街へ繰り出したオーバ姉さんも、
上機嫌で「明日行くからね」と電話口で宣言した。
けれど、こっちはそれどころではなくなっていた。
テレビではすこし前に撮られた映像が繰り返し流れているが、
リアルタイムの石垣とはまるで違った。
せっかくだから暴風の島を見て歩こうなどと無邪気にいっていたが、
お家の前に停めた車にたどりつくことすらできないありさま。
風速は想像の域を超えていて、まともに立っていることもできない。
おまけに、不意にいろんなものが飛んでくるから、危ないったらない。
「大丈夫、私がついているからねー」
その言葉に、僕らがますます不安になったこととは言うまでもない。
台風の夜には、いつもと違う何かがある。
数年前、伊江島で滞在するはずが、朝いちばんの船で強制的に島から出された僕は、
右も左もわからないやんばるの森で投宿し、そこで台風の直撃を受けた。
深い森も庭のバナナも大きく揺れ、締め切った窓を石つぶてのごとく雨がたたいた。
案の定、すぐに停電となり、僕ら宿泊客はろうそくを灯した食堂に集まって、
宿主がつけたという果実酒をいただきながら、長い長い話をした。
お気楽に見えた東京のご婦人たちは、乳がんを克服したひとたちだった。
海に入れずふてくされた僕を笑ってしかりとばし、
就職活動からひとり「逃げ出して」きた女子大生の心をときほぐし、
彼女らは生きてゆくのはつくづくおもしろいと語った。
「大変ですねとか言われると、かえって笑ってしまうのよ」
そういう夜があることを、僕は想像していなかった。
そばに誰かがいるかぎり、停電の夜もいい。
なにしろ、明けない夜は今まで一度もなかったのだから。
夜半を過ぎて、奇妙に風がおさまった。
あたたかい闇の中に、トゥバラーマがながれている。
島に伝わる有名な恋唄。女性の声できくのは初めてだが、なんだか神さまみたいだ。
嵐の島に迷い込んだ旅人のために、ナツコは三線を持参した。
人は見かけによらないもので、彼女は八重山音楽界で認められた正当な古典の唄者なのだ。
けれど、鉄人は夢の中。ソルボーもすでに床にまるくなって眠っている。
ちいさな拍手を受けると、ナツコはてへへと笑ってタクシーを呼んでくれた。
「保険きかないからよ、何かあっても自己責任ね」
運転手は笑って言ったが、ひとたび走り出すと我が目をうたがった。
大きな街路樹が根こそぎ倒れて、あちこちで行く手をふさいでいた。
路上に散乱する枝葉や何かの破片も、吹き過ぎた風のすさまじさを物語る。
「またすぐに吹くからよ、いそぎましょうね」
僕らは身を乗り出して、車窓に流れる現実を見た。
「がんばれ、珊瑚礁・・・」
そして、友がすむこの島をまもりたまえ。
うそ・島を走る・ハイビスカス・おかしな友達・ガーリ
大荒れの夜が明けた。雨風はまったくおさまっていない。
依然として、島は暴風圏まっただなかだ。
それでも鉄人が空港に行くといってきかないので、朝からタクシーを呼んだ。
「飛ぶ・・・わけないか」
ほとんど潮の雨が、僕らの行く手をはばむ。
岸壁からあがってきた波が、地面をはしってゆくように見える。
街路樹は折れ、でかい看板がたおれ、道は川のごとし。
石垣の街はものすごいことになっていた。
北部では吹っ飛ばされた建物まであったようだ。
空港は昨日に増して人でごったがえしていた。
欠航にともなう特別空席待ち番号はすでに2000を超えている。
とりあえず午前中は欠航で、午後はまだ決まっていないというけれど、
この状況では運行再開なんて夢のまた夢だ。
件の大男も深刻な顔で腕組みしていた。
同宿で知り合ったという気の弱そうなダイバーは、
「こんなのもういやです」と口を開けば愚痴ばかり。
ものは考えようというけれど、同じ境遇にありながら、かわいそうなやつだ。
そこへ再び那覇空港から電話が入った。オーバ姉さんである。
「お疲れさまっす」
「もう、疲れちゃったよー!どうしてくれるの?」
「おいおい、僕にあたらないでくださいよ」
彼女は二日酔いをおして朝いちばんで空港に入ったが、午前欠航。
午後の便が飛ぶことにかけて、このまま空港でねばる気らしい。
「飛ぶわけないって、こっちはほんまに大変なんですから」
「いや、飛ぶよ!」
鉄人タイソンが強い口調で割って入った。
明日の仕事も心配だけど、実をいうと家族に社員旅行で大阪へ行くと偽ってやってきた。
今日帰れなければ、その嘘がばれてしまう。
「だから、困るんだよね・・・」
やれやれ。かくして三日目のゴングが鳴った。
再び月見うどんを食って宿に戻ると、リサが玄関先で目をまるくしていた。
「いったいどうなっちゃたの?」
よく手入れされた花咲く庭に、主人の人柄がうかがえる。
その庭から門にかけて、青い実が無数にころがっていた。
宿のかーちゃんが楽しみに育てていたパッションフルーツは、
昨夜の風雨で見事にぜんぶ落ちてしまった。
もったいないので拾うと、たちまちタライいっぱいになった。
割って食うと、まだ酸っぱい。それでもリサはうれしげにほおばって「おいしい」と笑った。
「空港へ、行ってきたんですよね?」
鉄人タイソンのいでたちをじろじろ眺め、ぎこちなく笑う。
彼は昨日につづいて今にも走りださんばかりのアスリート姿。
明らかに変だが、実際、黒島で走って寝て走って寝てのつもりだったから、
こういう衣装しか持ってきていないのだ。
「わざわざ走りに来るんですか?」
「まあ、いろいろあってね」
鉄人タイソンは42.195キロを三時間で駆け抜けるアスリートだった。
いまだに年に何回かはフルマラソンに出るし、トライアスロンも楽々とこなす。
けれど「いまは市民ランナー」だ。
突然の大病におそわれ生死の境から立ち直ってくる過程で、
彼はたまたま黒島に出会い、自分にとっての走りを見出した。
以来、かっこよくいえば、生きている証を刻むために、毎年島にやってくる。
「そんなおおげさなものじゃないけどね・・・」
照れかくしで空を見あげる。その先に、たいそうはやい雲がある。
昼飯を食うにも雨が激しいので、もんちに車で迎えに来てもらった。
「こんなとき出歩いたら、きっとばかだっていわれるはず」
彼女は僕らの妹分で、この島で天職のナースをしている。
内地から友達が来ると島を案内したりするらしいが、
台風の中で呼び出されたのは初めてだと笑う。
「でも、こんな状態で、お店あいてるのかな?」
案の定、どこもかしこも休業で、僕たちは嵐の中さまようことになった。
行く手は豪雨のカーテン。たのみの信号も所々止まっていて、ろくに機能していない。
年中無休のスーパーまで閉まっていた。
どうやら昨夜の停電で冷蔵庫をやられ、食材がだめになってしまったようだ。
「これは、私の人生で最大の台風だね、きっと」
ようやく開いている店を見つけ車を停めた。
そこで初めて気づいたのだが、街路樹は散々な状態なのに、
ハイビスカスの花は散っていない。まったくもって不思議だ。
「ゆうべ、不安じゃなかった?」
もんちは目をくりくりさせて言った。
早めに仕事から帰ってきた彼女は、ひとりぼっちの部屋で嵐の夜を過ごした。
飲めない酒をかっくらって寝るはずが、窓をたたく風の音に目がさえてしまい、
結局、布団の中でただただふるえていたという。
「あれは、私の人生で最悪の夜だったね」
料理を注文する際、鉄人タイソンはどこかにメガネを落としてきたことに気づいた。
もし見つかったとしても、おそらくこの天候では無事ではないだろう。
しょげかえった鉄人は、ため息まじりでもらした。
「あのとき宮古便に気づいていればなぁ・・・」
昼食の後、望みは捨てないと言いはる約一名を空港で降ろし、
ソルボーの家まで送ってもらった。もんちはこれからまた夜勤だ。
ソルボーは大忙しだった。
台風で仕事にならないからかえってあれこれ思いつくのか、
お客さんから次々に追加修正の依頼が入り、朝からてんやわんやだと笑う。
ナツコは「つまらない」を連発していた。
海の日の催しで子供達をヨットに乗せる今日を楽しみにしていたが、
この荒天で中止となった。それでここまで来てみたが、
ソルボーが仕事に追われているので、暇をもてあましてるところだった。
「ねー、また五人でどっか行こうよー」
「あれ?でも、タイソンさんは?」
「ああ、もうすぐ戻ってくるはず」
ほどなく、鉄人はかえってきた。
空港で彼を待っていたのは、無常な「欠航」の文字。
がっくり肩を落とし、つぶやいた。
「がんばれ、オレ」
台風といえば、宮古島の狩俣を思い出す。
あの頃はまだ島にキヨミがいて、台風が迫っているのにのんきに海に入っている僕を、
わざわざキヨミが呼びにきた。
「おーい、ツノマタ採るってさ」
言われるままについていくと、ニシの浜の浅瀬で、
旅人から島の姉貴としたわれる宿の主人・るみ姉が、
宿泊客を駆り出してツノマタ採りにはげんでいた。
「ほら、おまえも働け」
ツノマタというのは珊瑚の間に生えている奇妙な海藻で、
素人にはなかなか見つけにくいのだが、ゆでると最高に酒のあてになる。
悪戦苦闘の末に大ざる一杯の収穫をあげ、
その皿をかこんで千代泉(という地元の島酒)で乾杯となった。
「よし、そろそろオトーリまわせ」
「昼間っから?」
「いけいけ、台風だからいいさ」
その日、僕は島を出ることになっていた。
おそらくはそれで、早くから宴をはじめてくれたに違いなかった。
「もし空港行って飛行機飛ばなかったら、ここへ帰ってこいよー」
幸い僕を乗せた飛行機は、台風の一歩手前でどうにかこうにか飛び立った。
そして、狩俣は、僕にとってもうひとつの「帰る場所」となった。
島娘ナツコの台風観光ツアー第二弾は、やはりサトウキビ畑からはじまった。
みんなすっかりなぎたおされ、今はざわわともいわないけれど、
やつらはすぐに起き上がって「負けるもんかとまた伸びる」という。
それでも、塩害だけはどうしようもない。
いわば島じゅう潮をかぶったような状態だから、後はいろいろ大変なのだ。
「しかし、そろそろおさまってもよさそうなのにな・・・」
「タイソンさん、どうしてくれるんですか?」
「ちくしょう、またオレかよ」
北からの吹き返しは思いのほか長びく。
石垣をまともに襲った台風は、いくらか勢力を弱めながら、
お隣の台湾から中国へ向かっていた。
けれど、島は依然として暴風圏にある。
横風すさまじい海辺の道で、ナツコの携帯電話が鳴った。
那覇のお母さんからだった。ひょっとして娘はひとり心細くしているのではあるまいか。
そんな親心だったことは想像にかたくない。
「大丈夫よ、おかしな友達と一緒だからねー」
鉄人タイソンは笑って僕を指さしたが、それはまぐれもなくおっさんのことだった。
夕方になって戻ると、街はいくらか活気をとりもどしていた。
さすがに営業している店は多くないが、
足止めをくらった観光客が我慢の限界とばかりに繰り出し、
どこもかしこも超満員だ。
僕らはさまよった末に焼肉屋に入ることに成功し、
ようやく生ビールにありついた。
「では、今回いちばんの苦労人、お願いします」
次々と試練に襲われ家族にも嘘がばれてしまった鉄人は、しばらく考えてから、
「もし、あのとき宮古便に気づいていたら、このビールは飲めなかったもんね」
と、おかしな台詞で乾杯の音頭をとった。
「まったく、いつまでくよくよしてるんですか」
ここまでくれば、きれいさっぱりふっきれている。
けれど、この方がかえって笑いをさそうのではないかと、
今夜の鉄人は下手な演技をしていたのかもしれない。
「私はダイビングより楽しかった」
ようやく本性を出しはじめた名古屋人リサは、
ミソカツ、手羽先、味噌煮込、きしめん、櫃まぶし、
挙げ句の果てにはヨコイのスパゲッティまでならべたて、
世界の中心は名古屋だと熱っぽく語り、
遊びに来たら案内はまかせてと胸をたたいた。
「新潟はね、冬は寒いけど、酒はうまいよ」
「行きます、いつかきっと」
ありがとう。ここで台風に遭えて本当によかった。
明日に仕事をひかえた島の二人と手を振って別れた後、
僕たちは勢いで次へ向かった。黒島の唄者が営む民謡酒場。
珍道中のフィナーレは、ここをおいて他にない。
「いっちょ、景気ええの、たのんまっせ」
よしきたと三線をかまえれば、嵐をぶっとばす島唄ライブのはじまりだ。
「まったく、台風なのに、何してるんだか・・・」
踊り手としてこの島にすみついたノンちゃんが、
あきれ顔で琉装に着替え、嫌がる鉄人タイソンを無理やり舞台へひっぱりだした。
「いいじゃないですか、明日は明日の風が吹くですよ」
「これ以上吹いたら困るよ」
ぶつぶつ言いながらも、音楽に合わせて踊りはじめる。
揺れるいかしたジョギング姿。走るのは得意だが、案の定、踊りの方はからきしだめだ。
「こらー、しっかり踊れー!」
陽気な野次を飛ばしていた隣りの客が、たまらず舞台に飛び出した。
勝手がわからないリサも彼らに手を引かれ、僕もその輪に加わった。
「ばかだねー、オレたち」
「いいんじゃない?」
踊り子ノンちゃんの魔法の手が、あららぶる空気をかきまぜて、ここに福を招きよせる。
最後はみんなが踊りだす。それが島の夜なのだ。
復旧・しぶといよ・大逆転・丸八食堂・贈り物
今日は飛ぶらしい。との吉報は、どこからともなくきこえてきた。
飛び起きておもてに出ると、まだあれくるう風の中、
向かいの奥さんが、潮まみれになったお家にホースで真水をかけている。
ようやく開店した近所の商店のおじいが、力強く宣言する。
「みんなこれからだからよ」
台風銀座の島に、復旧がはじまったのだ。
僕たちは最後のパインで朝食をすませ、宿の主人の車で空港に向かった。
リサは朝の便で那覇に発ち、鉄人は空港で自分の番号がめぐってくることにかける。
午後の便で島を出る僕は、とりあえずお見送りだ。
「勝負はこれからだな・・・」
鉄人が車窓の景色につぶやく。大破した看板をあらためて見ると、
今回の台風がただものでなかったことがわかる。
僕のまわりも決して平穏ではなかった。
与那覇さんの農園は、潮まじりの風で大きな被害を受けたものと思われる。
Fさんの果実倉庫は予想外の浸水とたたかった。
サトコさんの場合、風で大破した信号機が車の後部ガラスを突き破り、車内がめちゃくちゃになった。
西表島でマリン事業を営むノリさんは、船を着ける桟橋をまるごと波にもっていかれた。
番犬ラブ&ピースの小屋は屋根が見事にふっとんだ。
ひとくちに復旧といっても、簡単にはいかないに違いない。
黒島に電話すると、宿の大将は笑っていた。
黒島も何度か停電したけれど、建物に水をおくるポンプに支障はなかったし、
超大型冷蔵庫のおかげで冷凍食材も無事だった。
思いのほか宿泊客が多く米は底をつきそうだが、なくなったら「餅でも食えばいいさ」と笑う。
石垣の市場はようやく動き出したが、向こうも大変だろうからあえて仕入れはしない。
復旧に完璧は求めない。なにしろ、またすぐ次の台風がやってくるかもしれないのだ。
「でもさ、これでなかなかしぶといよ、僕は」
そうやって長年やってきた。だから、きっと、大丈夫だ。
「おっはよー、そっちの様子はどうかしら?
そう、今日は飛びそうなの?良かったわね。
でもね、私、いま那覇じゃなく、東京にいるんですの。
おかしいでしょ?結局、昨日の最終便で戻ってきちゃった。
でもね、あきらめたわけじゃないのよ。また来月にリベンジするつもり。
だって、夏はまだはじまったばっかりなんだもの。ね、あなたもそう思うでしょ?」
空港はものすごい人だった。こんな石垣空港を見るのは初めてだ。
せまいフロアに入りきらない客は近くの体育館に輸送され、
観光協会の若者はせっせと炊き出しした握り飯をふるまっている。
新聞によれば、この台風で足止めをくらった客は、積もり積もって1万人以上。
誰もがそれぞれの場所でたたかってきた。それもようやく大詰めだ。
どこからともなくあらわれた大男が、興奮ぎみに握手してきた。
失敗続きだった彼も、情報力をいかして本日朝便を確保。
あとは飛ぶのを待つだけだ。
「いろいろありがとうございます、学ぶことの多い旅でした」
彼の感嘆ぶりに、鉄人は「オレたち何もしてないけど」と笑った。
「ま、終わってみれば、いい旅だったよね」
「よう言いますわ、まだ帰れるとは決まってないですよ」
そうこうしているうちに、羽田直行便の空席待ち番号がアナウンスされた。
鉄人タイソン、信じがたい大逆転で、最高の便をゲット。これなら日の高いうちに新潟に着く。
「ま、オレは最初から心配なんかしてなかったけどね」
大男の派手な「バンザイ」に見送られ、鉄人はさっそうと出発ゲートに向かった。
やはり最後まで間抜けなジョギング姿であった。
「私、また来ます」
「じゃあ、また会おう」
「ええ、またいつか」
リサは使うことのなかった大きなダイビング荷物を抱えて手をふった。
ほどなく、ぶあつい雲を突き破って、待望の飛行機が降りてくるのが見えた。
街に戻った僕は、待ち合わせた店へいそいだ。
みんな今日から仕事だが、昼休みにいつもの食堂で落ち合う。
台風ツアーの締めくくりは、かくれた名物のなかみ汁だ。
「ほんと、今回はすごかったっすね」
ヒデオは実家の料理屋が大変だと笑った。
船が入らないので仕入れがきつい。
実際、すべてがもとに戻るまでには一週間ぐらいかかるそうだ。
港を見守るナツコの職場では、管理サーバーがやられてんやわんやの状態。
那覇から修理業者を呼んだものの、いったいいつ来ることやら。
「でも、せっかく来た人たちも大変でしたよね」
「島を嫌いにならないでくれたらいいんですけど・・・」
「大丈夫やろ?」
「・・・ですよね?」
ソルボーはにっこり笑った。すべてはそこからはじまるのだ。
「気を引き締めていってらっしゃい、まだまだたたかいはつづきますから」
結局、午後の便は遅れに遅れ、僕が大阪に着いたのは深夜であった。
史上空前を数えた欠航空席待がぜんぶはけたのは、翌々日のことだったらしい。
南の島には、台風がつきものだ。
旅を行く僕たちは、時にそいつにぶちあたり、泣いたり笑ったりするだろう。
けれど、なげくことはない。
たぶん、それは、気まぐれな地球がくれた贈り物なのだから。
タイソンタイフーン 了
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